SSブログ

精神病性躁病と精神病性うつ病

感情障害とか双極性障害とか躁うつ病と呼ぶ場合に
それならば精神病性ですね
と素直に解釈できるような意味の含みがあるわけです

ここで精神病性という言葉と
神経症性という言葉が対になるのですが
最近では
精神分析と共に神経症という言葉自体が駆逐されているので
説明が必要なのかなと思う

だいたいを言うと
精神病性という場合は
現実把握、reality testing、現実検討などと言われる
精神機能部分が壊れているわけです

神経症性というと
現実把握は壊れていないのですが
それを心の中でどう処理するかという段階になって
たいていは低級の防衛機制を使って
ごまかすわけで、
そのまあ、ごまかしともいうような部分を
神経症性と名付けているわけです

脳の構造を階層的に考えると
(だから診断学も階層的になるはずなのですが)
ジャクソニスムの原則に従って
大きく区分して精神病性と神経症性を区別できるというわけです

つまり精神病性のほうが重症だということになります

たとえばよく問題になる、失恋とか肉親の死亡などに伴う
悲哀と
うつ病の悲哀はどう違うのかというような問題がありますね

うつ病の悲哀にも2つあるわけです
上の考えに従うと

つまり
精神病性うつ病の悲哀と
神経症性うつ病の悲哀がある

何が違うかというと、
精神病性うつ病の場合は
現実把握がずれていて、そのせいで悲哀が発生している
たとえば妻が死んでもいないのに死んだと認知したら
悲しい
でも他人にはどうもよくわからない
そういう場合

神経症性うつ病
というのは
他の人と状況把握は共有できる、そして現実利益も共有できる
だから疾病利得とか
そんなことも共感できる
各種の防衛機制はその場その場に応じて
取り出したり引っ込めたりするものですから
原則共感できるものです
そして、普通ならこの防衛機制は使わないなというような場面で
その防衛機制を使ったりすると、
神経症性うつ病になったりする

失恋のうつは
現実把握も大丈夫、防衛機制もふつうのものを使っているという場合の
悲哀なんですね

これで
精神病性うつ病の悲哀と
神経症性うつ病の悲哀と
正常体験反応としての悲哀をきちんと区別できるはずです

ーーーーー
そういう意味では
私などは長年、患者さんの現実把握の程度を測定し続けているわけです
じっと話を聴き続けながら
そして一方で患者さんの使っている防衛機制を分析している
そういう仕事なんです

たとえばその人の把握している現実はどんなものか
こころのスクリーンに映るとして
内容そのものが現実と違っている場合から
画面の解像度がどうにも足りなくて
足りない部分を空想とか被害妄想で補うという場合も多い

その人の心のスクリーンに何が映っているのか
それはどの程度の解像度なのか
などに感心を持って話を聞いているわけです

ーーーーー
解像度と言いますが
実際には言葉に頼る部分が大きいんですね
子供ならプレイセラピーの中でその子供の心のスクリーンに何が映っているのかを
考えるわけですが
大人の場合にはそんなわけにも行かないので
たいていは言葉
たまには絵画とかを使うわけですが
やはり言葉の網の目がどうかということに関心が向かうわけです

言葉の網の目が粗雑すぎると
何が映っているのか
現実と違うものが映っているのか違うものが映っているのか
そんなことの判別も困難になります

言葉の網の目が粗雑すぎる人の場合には
やはりそのあたりの成長を促す方向で接することになるわけです
気の長い話になるでしょう

ーーーーー
ここまでがおさらいですね

薬剤としては
神経症性うつ病の場合には
抗精神病薬は使わなくていい
抗うつ薬でいい

精神病性うつ病の場合には抗うつ薬よりも
抗精神病薬ということになります
それは現実把握能力の改善ということが目標だからですね

ここでもう一度概念の点検をしてみると
双極性障害は、もともと感情を支配するシステムの障害で
原発性に感情が病気になっていると考えているわけですが
そうするとここまで説明してきたことと少しずれてくる

現実把握のズレがプライマリーな病変であって
その事に感情が反応するのはまた別の話

その感情反応の仕方がずれているというのは
また別の病気であって
それは双極性障害でもないし精神病でもない
類型として考えると
性格障害の方にやや近いだろうと思います

何も原因がないのに
感情が大きく揺れる
たとえば甲状腺機能障害とかではそんなことが起こりますが
それでも現実に対する反応が大きすぎるという感じであって
きっかけは確かにあって、そのうえで反応が大きすぎるという場合も多い

しかしそのような、何も原因がないのに感情だけが揺れている
というのが
双極性障害、感情障害、躁うつ病のもともとの分類でしょう

しかしそんなものがあるのか
あるとしてどう見分けたらいいのか

見分ける相手は何かというと
それは、ずれた現実に対する正しい感情反応ですね

正しい現実把握+ずれた感情反応=感情障害

ずれた現実把握+正しい感情反応=精神病

という区別になります

ところが先に述べたように
正確な意味での双極性障害は実は精神病性の性質を含んでいる
このあたりがなかなか厄介な部分です
再度、精神病性とは何かを考えなおすことになる
という訳で
少なからぬ循環の議論になる

こういう話は
机上の空論、スペキュレーションと言って
相手にしない人も多いわけでして
なかには、そのように区別するとして、どのように治療方針に反映するのかと
考える人もいます

ーーーーー
さて、実際には正しい現実把握といっても
問題山積です

たとえば大地震が起こったみたいだ、どうするかという場合、
正しい現実認識とは何でしょうか
難しい

そしてそれに対する正しい感情反応とは何でしょうか
それも難しい

理論的に正しいというものではなくて
統計的に多数であるとか中央値であるとか
そんなことで置き換えることもできるでしょう

ーーーーー
大災害の場合で言えば
たいていは、脳機能の最上位部分は機能停止しますので、
まあ、それが危機の意味ですね、逆に
そして大多数の場合に危機で脳最上位機能が麻痺しているときに
麻痺しないでクリアーな結論を出せる人が
リーダーとして適任ということになります

一番大声でしゃべっている人がリーダーというものではないんですね

ーーーーー
大災害に際しての人々の行動を見ていると
実に躁病的ですね
細かい説明は省きますが
精神科病院の病棟で日々起こっている患者さんの心の動きと
相似形なことが起こっているような気がする

この点から私は推理するのですが
大災害の時に人々の心のスクリーンに映るものと
躁病のときに患者さんの心のスクリーンに映るものはある程度似ているのではないか

だからその先の感情反応に類似性があるのではないか

そう考えると
やはり躁病は大部分は精神病なんだと納得が行くわけです

しかし中には
現実認識はずれていない、しかし、感情はずれていると言う、本来の感情病の人もいる

脳にはいろいろな部分があるわけだから
その部分部分で故障が起こっても不思議はないはず
だからこのような純粋原発性感情障害もあるでしょう

ーーーーー
というようなわけで、双極性障害は精神病の部分が大きいと考えられるわけです
根本の障害は現実認識の障害
だから治療法は抗精神病薬です

そんなわけで
ここからはテクニカルな話ですが
抗精神病薬に急性の躁病やうつ病を抑えるメカニズムがあるのかどうか
なかなか難しい
(わたしはあると思う・・・しかも現実把握改善部分以外の作用だと思う)

上記の話で言えば
抗精神病薬は現実把握を改善するから
躁病なりうつ病なりを改善すると
言えるのではないか

抗精神病薬が感情細胞に直接効いているのではない
と考えられます
(んー、でもそういう効き方もあるんだと思う)

また別の考えでは
やはり抗精神病薬は感情細胞に直接作用して
躁病をストップさせ、その延長でうつ病を誘発してしまう
そういう意見もあります
(そうだろうね、賛成)

また、精神病つまり統合失調症・シゾフレニーでうつ病症状は見られるのですが、
それに対して抗うつ剤を使うのか
抗精神病薬を使うのかという問題はあります
(私は後者を使う)

ここでの話で言えば
現実検討がずれているなら抗精神病薬
現実検討が正しいままならば抗うつ薬という区別になるでしょう

ーーーー
いろいろと問題があるのですが
患者さんの心のスクリーンに映っているものは何か
それをきちんと把握しようとするだけで
いろいろなことが分かるはずなのだと思うわけです 

ーーーーー
リチウムとかラミクタールがどう効いているのかはいろいろと議論がある

リチウムのばあいは急性躁病、急性うつ病、長期予防いずれにも有効
ラミクタールの場合には(メーカーはどう言うのか別にして)
急性うつ病、急性躁病には無効、長期予防に有効、となる

普通に考えて一番良いのは
急性躁病や急性うつ病で、認知機能に問題があるとしたら
そこを改善してくれれば理想的なのだけれども
機能をせき止めているもの、阻害しているものを取り除けることは
比較的しやすいけれども
不足しているもの、欠損しているものを薬剤で補うことは難しいだろう
しかも短時間ではなおさら無理だろう
欠損を補うのは教育である


ということは、急性の感情エピソードについてリチウム投与または抗精神病薬投与は何が起こっているのだろうか
ということになる

たんなる鎮静であろうか

たとえば鎮静と考えるとして鎮静の典型的な薬剤はレボメブロマジンである
ところがこの同じ薬剤を少量のみ使って賦活作用を実現することができる

考えかたとしては、鎮静系を鎮静するから結果として脱抑制になるのであって
レボメブロマジン自身は一貫して抑制系である

ーーーーー
さらに長期予防のメカニズムは何か
などなど

春の夜は長い
 



共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。